2013/02/18

病院の透明性を高めるには

健康になりたい、健康でありたいという欲求は、マズローの欲求段階説の中でも、食事・睡眠・排泄といった最低限の欲求の次に来るものであり、生に執着していようが、いまいが、誰しもが望むことだろう。そして、病気になったとき、健康を取り戻すために「良い病院を選びたい」と考えることは、非常に自然なことだと思う。フリーアクセス(病院が定められていない)の日本だからこそ、よりよい病院選びは、大きなテーマである。

実は、今年になって、身近な人が3人、立て続けに急性期病院に入院した。自分がこんな仕事をしているからこそ、よい病院を選びたいという気持ちはあるものの、実のところ、あまり役に立たなかった。というのも、たまたまその人が居た場所の近所の病院に入院したり、クリニックで紹介された病院に入院したり、選択の余地が無かったのである。入院した病院、紹介された病院はいずれもとても良い病院だったと思う。あとから知ったことだが、その手術に関しては比較的多くの件数をこなしている有名なドクターであったり、偶然だが恵まれていた。

紹介されたとき、イヤです、と言える人はどのくらいいるだろうか。おそらくだが、ほとんどの人は断れないのではないだろうか。というのも、断るだけの絶対的な理由を持ちあわせていないからだ。例えばだが、知人からランチに誘われて、四川料理と言われたら、辛いのが苦手だから断るのに対し、グルジア料理!?と言われたら、よくわからないし、断る理由もないはずだ(なんかヤダと断る人もいるかもしれないが)。日本の病院がグルジア料理、と言っているのは、グルジア料理が怪しいとかそういうわけではなく、絶対的な基準で判断できないことを指している。

余談だが、下の写真を見ると、ヨーロッパ文化とアジア文化が融合した、美味しそうな料理だ。(突然、グルジアが思いついただけで、何の脈絡もない)
グルジア料理 出典:http://www.latortugaviajera.com

絶対的な情報がないことは、これまで一般市民が絶対的な情報を欲して来なかったことも大きな理由だし、医療が自由競争環境にないことも理由だ。

いかに病院の透明性を高めるか。そんなことを考えながら読んでいた本の著者がWall Street Journalにエッセイを載せていたらしい。


エッセイはちょっと過激な出だしだが、透明性を高める、という点について、いくつかの提案がなされているのは興味深い。また、記事には多くのコメントがついている。コメントもいくつか読んだがおもしろい。

透明性を高めるには、何よりも、病院・医療に興味を持つことだ。今度、グルジア料理でも食べに行こうかな。