2017/01/08

『政府のデータは商業的資源になる』 未来政府(ギャビン ニューサム著)より

本来、まったく同じことを言っているならば、同じ価値になるはずだが、言う人によって価値が変わってしまう。

「データは資源だ」ということを繰り返し述べているつもりだが・・・

実績開示、情報の資源化の観点が抜けている - 医療、福祉に貢献するために
当然ながら、自分の話にはさほど影響力がない。

「未来政府」を読み、改めて、その理由を痛感した。

サンフランシスコ市長時代の経験と苦労により、発言の重みがまったく違う次元になっている。
そうしたデータは私たちの税金でまかなわれている。データは大衆のものであり、私たちはそれを手に入れ、利用することができるべきなのだ。政府のデータを金儲けに使わせるのは間違い、あるいは不適切だとする意見もあるかもしれない。しかし正確な気象情報やGPSを利用した商品が手軽に入手できるようになったことで、私たちの暮らしがどんな形であれ悪くなっただろうか。
データの資源化、特に商業的資源化について、様々な点で参考になった。

去年、週刊文春がたびたび世間を騒がせた。このようなパパラッチ的な記事について、芸能人や一部セレブが対象になるのではなく、誰でもなり得るという話題を、ウィキリークスなどとともに、現代の宿命であることも述べている。



正月に読んだ本の中で、未来政府はかなり印象に残った。